「部活動は、教師が犠牲になって成立するもの」……
そんな空気感に息苦しさを感じていませんか? こんにちは、現役教員として2つの部活の顧問をしている私です。 昨今、部活動の地域移行や働き方改革が叫ばれていますが、現場では依然として「顧問の負担」と「生徒の強制参加」という課題が残っています。今回は、私が実践している「教員も生徒も、部活動を『人間らしく』楽しむための3つのスタンス」についてお話しします。
1. 部活動は「+α」の選択肢であるべき
学生時代、サッカーに明け暮れていた私ですが、本音を言えば「今日は行きたくないな」と思う日も多々ありました。好きで始めたはずなのに、なぜ義務感に縛られてしまうのか。 今の私の答えはシンプルです。
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「ガチ層」と「エンジョイ層」のすみ分け: スポーツで進路を切り拓く生徒は別として、多くの生徒にとっては「運動不足解消」や「楽しみ」が本質であるべきです。
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強制からの脱却: 「全員入部」や「行かなければならない」というプレッシャーは、結果としてその競技を嫌いにさせてしまうリスクがあります。
2. 「練習日は自分たちで決める」という主体性
私は顧問として、生徒に「練習したい日を自分たちで決めてほしい」と伝えています。 現在、2つの部活を受け持っていますが、面白いほど反応が分かれています。
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能動的な部活: 「この日にやりたいので、先生来てください!」と提案してくる。
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受動的な部活: 「先生、次はいつ活動ですか?」と聞いてくる。
後者の生徒に対し、「自分たちがやりたいなら、自分たちで決めていいんだよ」と伝えていますが、これが意外と難しいようです。しかし、「与えられたメニューをこなす」のは教育であっても、主体性を育む「部活動」ではないと私は考えています。
3. 「先生も一人の人間である」と公言する勇気
部活動の顧問は、現状の制度ではボランティアに近い側面があります。 私は生徒に、あえてストレートに伝えています。 「先生にも自分の生活がある。休みを削ってまで活動を強要されるのは、お互いにとって健全ではない」ということです。
これは冷たく突き放しているわけではありません。 「先生という役割」の前に「一人の人間」として接してもらうことで、生徒自身も「自分の時間をどう使うか」「他人の時間を奪うとはどういうことか」を考えるきっかけになると信じているからです。
おわりに:聖職者からの脱却が、教育の未来を創る
かつて教員は「聖職者」と呼ばれ、無限の奉仕が美徳とされてきました。しかし、その結果待っていたのは、教員志望者の減少という厳しい現実です。
教員が「人間」として扱われ、心身ともに余裕を持って教壇に立てる社会。 そんな当たり前の「好循環」を作ることが、巡り巡って子どもたちのための良い教育につながるはずです。保護者や地域の方々、そして生徒たちと一緒に、新しい部活動の形を模索していきたい。そう願っています。


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