【主人公世代の光と影】Z世代はなぜ失敗を恐れるのか?〜理不尽な社会を生き抜く「打たれ強さ」の育て方

考え方

「なんで俺が怒られなあかんねん」—。

かつて、理不尽に怒鳴られたとき、心の中でそう毒づいた経験は誰しもあるはずです。理不尽に対する怒り、悔しさ、八つ当たりのような感情は、私自身、学生時代に常に抱えていたものです。

しかし、今のZ世代(1990年代中盤〜2010年代生まれ)は少し様子が違います。「個性が尊重され、大切に育てられた」彼らからは、「主人公感」が滲み出ています。努力すれば報われる環境で育った一方で、彼らは「失敗」や「失望」を人一倍恐れているように見えるのはなぜでしょうか?

本記事では、Z世代が直面する精神的な脆さの正体を掘り下げ、今後のグローバル競争社会で真に必要な**「理不尽への対処能力」、つまりレジリエンス(精神的回復力)**の必要性について考察します。


 

Z世代が持つ「主人公感」と「失敗への過度な恐れ」

 

今の若い世代は、非常に恵まれた環境で育っています。大切に育てられ、自分の意見や個性が尊重される教育を受けてきました。

その結果、**「自分は特別だ」「努力すれば認められる」**というポジティブな自己肯定感を持っています。これは素晴らしい強みです。

 

「個性重視」教育の功罪

 

しかし、この「主人公感」は裏を返せば、**「期待外れになることへの極度の恐怖」**を生みます。

常に他者から「いいね!」や承認を求められるSNS社会も相まって、評価が下がる、期待を裏切る失敗は、自己の存在価値を否定されるかのように感じられるのかもしれません。成功が約束されていたはずの物語が、急にバッドエンドになるのが怖いのです。

だからこそ、私たちは注意や叱責をする際に、ただ感情的に怒鳴るのではなく、「叱る」と「怒る」の違いを意識し、理由とセットで説明する必要があります。理由が分かれば、叱る側も叱られる側も有意義な時間になる。これは間違いありません。

 

叱る側も叱られる側も「理由」が必要

 

私自身、かつての理不尽な叱責に腹を立てていた経験から、誰かを注意するときは、必ず理由も合わせて説明しています。

「理由もなく怒鳴られる」という理不尽を、学校や家庭から極力排除しようという試みは、倫理的にも正しいでしょう。しかし、ここで一つの疑問が浮かびます。

理不尽のない世界で育った彼らは、社会に存在する突発的な理不尽に直面したとき、対応できるのでしょうか?


 

理不尽な現実に直面したとき、対応できるか?

 

最近、学校で起きた出来事です。生徒が道を塞いでいたところ、近隣のおじさんに注意されました。しかし、そのおじさんは、いきなり生徒の胸ぐらを掴んできたというのです。

当然、暴力は絶対にいけません。これは明確に間違っています。

ただ、生徒がこの出来事から学ぶべきことは、「暴力は絶対ダメだ」という正論だけではない気がするのです。

 

突発的な「理不尽」は必ず社会に存在する

 

世の中には、今回のおじさんのようにいきなり理不尽に怒る人がいます。道理が通じない相手や、努力ではどうにもならない不平等が存在します。

理不尽のない学校、家庭という「無菌室」のような環境で育つと、こうしたコントロール不能な状況に直面したとき、思考停止してしまうかもしれません。

「理不尽だ!」と怒鳴っても、残念ながら世の中は変わりません。だからこそ、理不尽に対処する力が必要なのです。

 

理不尽は「解消」ではなく「切り抜ける」もの

 

そもそも、世の中の理不尽の大半は解消できないものです。大切なのは、「理不尽をなくすこと」ではなく、理不尽が来た時にうまく「切り抜ける」方法を学ぶことです。

  • 相手の感情的な暴発に引きずられないこと。
  • 「この人とは議論しても無駄だ」と冷静に判断し、エネルギーを使わないこと。
  • その場をうまく収め、自分を守ること。

極端に聞こえるかもしれませんが、理不尽な社会で生き抜くためのサバイバルスキルです。そのためにも、定期的に予期せぬ困難(理不尽)を感じる経験は、精神的な打たれ強さを育む上で必要なのではないでしょうか。


 

「やめない力」こそが最強のスキルになる

 

今のZ世代は、情報リテラシーが高く、英語を話せる子プログラミングができる子は増えています。確実にスキルアップはしているでしょう。

しかし、精神的には脆いのかもしれません。

アルバイトを「飛ぶ」こと(無断欠勤で辞める)に対しての罪悪感が少ないという話もよく聞かれます。これは、求人が多く、職場を選びやすいという環境的な要因もありますが、困難から逃げることへの抵抗感の低さを示唆しているようにも感じられます。

 

グローバル競争で生き残る「グリット」

 

今の日本のZ世代が戦っているのは、もはや同じ日本人だけではありません。世界中の同年代との競争になってきています。専門知識やスキルは必須です。

しかし、グローバル競争で最後に生き残るのは、誰よりも優秀な人間ではなく、折れない心を持つ人間ではないでしょうか。

少しの失敗で立ち止まらない。期待を裏切っても、批判を受けても、目標に向かって継続し続ける力

英語が話せる、プログラミングができることよりも、**「やめない。続けられる。」というグリット(やり抜く力)**こそが、何よりも素晴らしいスキルになる時代が来ているのかもしれません。

 

まとめ:教育はどこにフォーカスすべきか?

 

Z世代の優秀さ、個性の強さは疑う余地がありません。彼らは、世界を変える力を持っています。

しかし、彼らが持たなければならないのは、**「理不尽な世界で折れない心」**です。

教育は「理不尽をなくす」ことではなく、「理不尽を乗り越える方法を教える」ことにシフトすべき時が来ています。それが、彼らがグローバル社会を力強く生き抜くための、最高の贈り物になるのではないでしょうか。

あなたのお子さんや、職場の若い世代は、理不尽な状況に直面したとき、うまく「切り抜ける」ことができますか?

コメント

タイトルとURLをコピーしました