え~皆さんご無沙汰しております。古畑ですぅ~
最近思い出したかのようにTVerでやっているのを見て、懐かしくみております。
古畑任三郎
つい最近主演の田村正和さんが亡くなりましたが、思い出されるのは古畑任三郎です。
その中で特に今の自分に重なるというか、昔見ていた時とは違う印象を抱いた回をご紹介します。
古畑任三郎 第28話 『若旦那の犯罪』
話の詳しい内容はこちら(出典:Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E7%95%91%E4%BB%BB%E4%B8%89%E9%83%8E%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%94%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%89%E4%B8%80%E8%A6%A7#%E7%AC%AC3%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%B3
ざっくりの話ですが、落語家の話で
良いネタ書くけど、華がない兄弟子とネタはイマイチだけど、華がある弟弟子。弟弟子はどうしても兄弟子の書いたネタがやりたくて、頼み込むも断られたことで殺人を思いつき、弟弟子が兄弟子を殺してしまう
という話です。
最後に古畑に全てを解き明かされた後の師匠から犯人である弟弟子への言葉が印象的です。
「ネタなんてのは後からついてくる。華が無くてみんな困ってる」
この言葉の意味ってのが
自分が持ってる才能は自分では気づけない。
みんながみんな、何かしらの才能は持ってる。
という言葉があるけど、みんな何もない、何者にもなれない。という葛藤を抱えて、10代、20代を生きる。
自分自身、教育やって3年目。自分なりに授業を工夫してやってはみるけど、自分のキャラクターありきで授業は進めてる気がする。
内容的にはもっともっと学ばせてあげたい。意欲的に取り組むような仕掛けを!とか思うけど、自分にはまだそれがないからキャラで誤魔化してる。
ただ誤魔化せる間に自分の教科教育の実力を伸ばしていきたいなーと素直に思う。
歴を重ねるごとにキャラで誤魔化す必要のない授業を目指したい。
それは究極でいえば誰にでもできて、どんな人でも深く学べる。興味を持って取り組むことのできる授業が最も良い授業なのかと思う。
ただ、そのために必要なことは
経験値
机の上で得た知識ではなく、生身の体で、自らが経験することによる知識が求められる。
ただ現実的にアフリカ地理を教えるのに、アフリカ54カ国全てに行くなど、現実的ではない。
そこで大事になるのが、本を読むということです。
それも数多くのものだ。
情報を1つ仕入れるのではなく、数多くの方向から良いも悪いもたくさん仕入れることが必要だ。
教員だから、大人になったからこそ
生徒よりも多くの勉強が必要なのであると感じた。
それこそ、ネタは経験を積むことで得られるのだろう。
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