生きた証を、誰かの心に残したいと思った話

考え方

自分が生きた証を、何かの形で残したい。

そう思ったのは、父親が亡くなったときだった。

自分勝手な夢かもしれない。けど、ふと思ったんだ。

自分の言葉や行動が、誰かの心に残って、

その人が成長して、人生の節目に

「ありがとう」って思ってくれる。

もし自分が死んだとき、そんな風に誰かが泣いてくれたら、

それはきっと、幸せな人生だったって言える気がする。

「生徒のため」じゃなくて、「自分のため」でいい

正直言って、「生徒のために」という奉仕の精神は、そんなに強くない。

でも、自分がやりたいと思ったことや、自分のために動いたことが、

結果的に誰かを前に進ませる力になるなら、それでいいと思ってる。

それくらい、自分勝手な原動力でいい。

人の役に立つのは、きれいごとだけじゃない。

遠回りも悪くない。むしろ、それが宝物になる

父が亡くなる前までは、いろんな生き方を「見せる」ことが自分のテーマだった。

自分は大学を出てすぐ教師になったわけじゃない。

フリーターをして、サービス業もやって、塾講師も経験して――

回り道ばっかりだったけど、それが今の自分を作ってる。

だから伝えたい。

「まっすぐに、今なりたいものに、ならなきゃいけないわけじゃない」って。

寄り道や迷いの中にこそ、本当にやりたいことが見つかることがある。

そして、大人になってからでも、それは全然遅くない。

大人は思ってるより、ずっと楽しい

どんな仕事だって、面白くできる。

面白くない仕事を「つまらないもの」にしてるのは、たいてい受け身な姿勢だけ。

毎日を、自分から動いて、自分から楽しもうとしなきゃ、

つまんない人生はずっとつまんないままだ。

ネットでは「大人は大変」「社会はクソ」みたいなネガティブがあふれてるけど、

大人を楽しめてる人もちゃんといる。

そしてそれは、「楽しもうとしてる人」だけが感じられる特権なんだと思う。

楽しくないのは、動いてないから。

自分で考えて、自分で行動できる人になってほしい。

最後にひとつ、願いがあるとすれば

もし願いがひとつ叶うなら、

自分のことを少しでも想ってくれる人たちには、俺より長く生きていてほしい。

自分の生きた証なんて大それたものじゃない。

でも、誰かの中に少しでも残ってくれたら、それだけで十分だ。

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