「仲良しクラスじゃなくていい」。
この言葉を聞いて、ギョッとした人もいるかもしれません。 「学校は友達を作る場所だ」「友達ができないなんてかわいそうだ」—私たちは、いつの間にかそんな**「仲良し信仰」**を常識のように受け入れていないでしょうか。
私は、学校でクラス目標を決めるとき、あえて伝えています。**「仲良しなんて無くていい」**と。
それは、友達を否定しているわけではありません。学校の真の目的が、単なる友達作りよりも遥かに重要だと知っているからです。
この記事では、**「たまたま集まった集団」**である学校でこそ身につく、実社会で本当に役立つ力について、元教育現場の視点から解説します。
1. 友達は「学校の外」で見つける方が合理的だ
「友達がいない自分はダメだ」と悩む必要は全くありません。
友達とは、共通の価値観や趣味、目標を基に築かれる、精神的に安心できる関係です。
考えてみてください。
学校は、たまたま近くに住んでいて、たまたま学力が近い同年代が集まっただけに過ぎません。価値観が合えばラッキーです。しかし、無理に仲良しになる必要はありません。
現代、友達はネットのコミュニティや習い事、共通の趣味のサークルなど、能動的に「合う人」を選べる場所でいくらでも見つかります。むしろ、そちらの方が強固で長続きする人間関係になるでしょう。
学校を「友達を作る場所」だと定義してしまうと、気が合わない人と無理に付き合うという非効率で不健全な努力をすることになります。
2. 学校の真の目的:人生の「敵」と「苦手な人」を乗りこなすトレーニングジム
では、学校は何のために行くのでしょうか?
それは、「社会性」、より正確には**「うまくいかない人間関係を乗りこなす力」**を身につけるためです。
学校は、あなたが**「選んでいない人」と強制的に出会わされる、人生最初の「社会の縮図」**です。
- 共通の趣味が全くない人。
- 生理的に苦手だと感じる人。
- 時には、自分の安全が脅かされるように感じる「敵」のような存在。
実社会に出れば、職場、取引先、近所の住人など、「合わない人」と関わらざるを得ない場面が必ず訪れます。そんなとき、「仲良くする」という選択肢はありません。必要なのは、**「戦う」のでもなく、「逃げる」のでもなく、いかに安全に、スムーズに「やり過ごす」**かという能力です。
学校生活で鍛えられる3つのサバイバルスキル
この「安全なやり過ごし方」こそが、学校があなたに提供する最高の訓練です。
- 利害調整力(妥協点を見つける力) 気の合わないメンバーと文化祭の準備や班活動をする際、「お互いが最低限納得できるライン」を探るプロセスです。感情ではなく、目的達成のためにドライに関わる練習になります。
- 感情的な距離の取り方(自己防衛力) いじわるな人や、悪意のある噂を流す人がいた場合、「相手に影響されず、自分を守る適切な距離感」を学ぶこと。これは社会で生きていく上で最も重要な心理的な防衛スキルです。
- 理不尽への対処(システムの理解) 理解できない校則や、納得のいかない教師の指示など、理不尽な状況を前に、感情的に反発するのではなく、**「なぜそのルールがあるのか」「どうすればシステム内で解決できるか」**を冷静に考える力を養います。
これこそが、国が教育の目的に掲げる「平和的な社会の形成者」として必要な自律と責任の精神であり、大人として社会を生き抜くための核心的な能力なのです。
3. 知識の習得と進路の「公正な基盤」
もちろん、学校の目的は社会性だけではありません。教育基本法(第2条)にもある通り、**「幅広い知識と教養」を身につけることは、あなたの人生の選択肢を広げるための「公正な基盤」**となります。
- 体系的な知識: ネット検索では得られない、物事を深く考えるための普遍的で体系的な知識を習得します。
- 進路選択の土台: 基礎学力は、努力が報われる機会を増やすための「チケット」です。学歴は不要論もありますが、未だに多くの進路や仕事の選択肢を広げるために、極めて現実的な要素です。
まとめ:学校は「社会人になるための予行演習」だ
学校は、あなたの人生をかけた**「社会人になるための予行演習」**の場です。
仲良しクラスは、あくまでその過程で得られたボーナスのようなもの。
あなたが学校に行く目的は、「知識」という武器と、「どんな人とも、仲良くなくても、目的を達成できる」というタフな社会性を身につけることです。
今、学校生活に悩んでいる学生の方、またはお子様の人間関係を心配している保護者の方は、どうかこの視点に立ち返ってください。
学校は「仲良し」を求める場所ではありません。**「自立した一人の人間」**として、多様な他者と共存し、自分の人生を切り開く力を鍛える場所なのです。
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